旅行・地域

長崎県美術館開館5周年記念 プラド美術館所蔵 エル・グレコ『聖母戴冠』 特別展示

長崎県美術館の川瀬佑介さんからのお知らせです(畠中会員経由)。

長崎県美術館では、4月23日(金)から10月24日(日)まで、開館5周年を記念して、プラド美術館蔵で日本初公開のエル・グレコ『聖母戴冠』を展示します。

アイスランド火山噴火による航空網の混乱の影響で到着が遅れ、ご心配をおかけしましたが、おかげさまで無事到着、4月24日から公開しています。

また当館では、「須磨コレクション」を中心としてスペイン美術作品を多数展示しておりますので、この機会に皆様お誘い合わせのうえ、ぜひお運びください。

展覧会の詳細については下記をご覧ください(フレームからは交通アクセス等の情報へもリンクしています)。
http://www.nagasaki-museum.jp/whats_new/jousetsu/purado_gaiyo.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

スペイン・イベリア世界ゆかりの地 鹿児島県日置市(旧・伊集院町)

1549年8月に鹿児島に上陸したフランシスコ・ザビエル一行は、約1ヵ月後、「鹿児島から約5~6レグアの地」で領主島津貴久への会見を果たし、領内でのキリスト教布教の許可を取り付けました。この際一行が携えていたマリアの画像に島津家中の人々、とくに貴久の母堂は感銘を受けたといいます。

この「鹿児島から5~6レグアの地」は、スペイン・ポルトガルの度量衡の通りだとすれば25~30キロ、あるいは(ルイス・フロイスが『日本史』でそうしているように)日本の「5~6里」とすれば20~25キロほどの場所ということになりますが、宣教師の記録には具体的な地名は明記されていません。場所については霧島市(旧国分市)の清水(きよみず)城という説もありますが、日置市(旧伊集院町)の一宇治(いちうじ)城であったとする説が有力です。

その一宇治城跡は城山公園として整備され、市民の憩いの場となっていますが、一角には「ザビエル会見記念碑」が建っています(1949年建立)。島津の家紋とキリスト教の十字架が組み合わされた印象的なデザインです。JR伊集院駅からタクシーで4~5分、マイカーであれば鹿児島市からでも20分ほどで到着します。公園内の駐車場からは歩きになりますが、何しろ中世の山城の跡なので、日頃のどの程度運動しているかがはっきり表れるのでご注意!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

スペイン、イベリア世界ゆかりの地 鹿児島市

現在の鹿児島市は、九州新幹線bullettrainの終着駅でもある鹿児島中央駅(旧「西鹿児島駅」)を玄関口に、天文館通り周辺が中心街となっていますが、1549年8月15日、ナバラ出身のフランシスコ・ザビエル、バレンシア出身のコスメ・デ・トーレス、コルドバ出身のフアン・フェルナンデスらイエズス会士が鹿児島に上陸shipしてキリスト教布教を開始した当時、鹿児島の城下町の中心はそれよりやや東より、JRでいえば鹿児島駅近くのエリアでした。ザビエル一行が上陸したのは、この地区を流れる稲荷川の河口付近であったと推定されています。この近くの「祇園之洲(ぎおんのす)公園」には、1978年に「ザビエル上陸記念碑」が建てられています。この一帯には幕末の薩英戦争の旧跡、東郷平八郎の記念碑、また1993年の水害で損傷した甲突川の石橋が2000年に移築復元されるなど、歴史関係を色々と楽しめるエリアになっています。

さて、天文館通りにもどって黒豚とんかつpig、鹿児島ラーメンnoodle、夏場であれば「しろくま」を堪能した後は、少し脇に入って「ザビエル公園」に足を伸ばしてみましょう。公園に建つ「ザビエル来鹿記念碑」は、ザビエル来航400年を記念して1949年建立されたもので、太平洋戦争の空襲で破壊されたザビエル教会の初代会堂の石壁が一部用いられています。また来航450年にあたる1999年には、ザビエル、ヤジロウ(マラッカに渡って改宗、ザビエル一行の手引きをした薩摩の船乗り)、ベルナルド(ザビエルの薩摩布教で改宗、日本人として初めて渡欧、ポルトガルに歿した青年)の群像も建立されています。

そのザビエル公園に隣接して「鹿児島カテドラル・ザビエル教会」が建っています。1908年に設立され、現在の近代的な会堂は1999年に落成した3代目。図書室の閲覧も可能です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

別府大学アーカイブズ・フォーラム(2008年12月6日)参加記

先日お知らせした、別府大学アーカイブズ・フォーラム(2008年12月6日)に、友の会より椎名(報告者として)、畠中の両名が参加しましたので、遅ればせながらご報告します。(文責・椎名、写真撮影・畠中)

別府大史学科の学生さんその他関係者の皆さんが多数来聴した会場schoolで、フォーラムは椎名 浩「第二代イエズス会日本布教長コスメ・デ・トーレスの"動線"と"ネットワーク"」(内容・論評は省略!coldsweats01にて快調(?)な滑り出しを見せました。

つづく畴谷憲洋氏(大分県立芸術短期大学)の「アジア港市世界におけるポルトガルーアユタヤを中心としてー」は、wave大航海時代にポルトガル人がアジア各地に築いた海上貿易ネットワーク(その延長線上に日本との「南蛮貿易」も成立した)の構造、その担い手、各地の地域社会とポルトガル人社会の関係の取り結び方について概観し、後半は、最近タイのアユタヤ(山田長政とペトロ岐部ゆかりの地)で取材してこられたcamera画像スライドを交えて、アジア水上交通の拠点都市に残るポルトガル人の足跡が紹介されました。史跡や教会の映像もさることながら、畴谷氏ご自身も指摘しておられたように、タイのレストランrestaurantwineの料理のデザートcakecafeが「鶏卵そうめん」にそっくりだったのが妙に印象に残りました。「南蛮菓子」の世界は奥が深い??

最後に岡美穂子氏(東京大学史料編纂所)からは、スペイン・ポルトガル・イタリア・バチカンの各地の文書館bookにのこる日本関係資料の所在が紹介され、またその情報を元にsearch日本の歴史を再構築する意義についてのお話がありました。コメンテーターとして両報告へのコメントもありましたが、都合により省略しますcoldsweats01

その日の夕方からは、市内某所での懇親会にお招きに預かり、関アジ・関サバをはじめ海の幸と美酒を堪能しましたfishbottle。(既にこの時点で、大分まで来た甲斐があったというものです)その夜は別府大の先生方にご手配いただいた鉄輪(かんなわ)温泉の旅館「しんきや」に宿泊しました。

08120701 0812070208120703 08120704 08120705

翌7日は、朝食後鉄輪温泉界隈を散策spa。あちこちから湯気が立つ、昭和レトロが漂う街並みも印象的でしたが、カウンター(腰掛け)式の足湯施設も中々インパクトがありました。そのままずっと足を置いていると、鶏肉のようにやわらかくなるのでしょうか??

08120706 08120708 08120707

その後、別府大の先生方のご案内で臼杵市を見学しました。大友宗麟の築いた城下町臼杵は南蛮文化、キリシタンの重要な拠点のひとつで、友の会が注目している、「九州とスペイン・イベリア世界との接点」のひとつです。

その城下町の風情の残る中心街の一角に建つまちづくり拠点施設「サーラ・デ・うすき」は、概観は周囲の景観に合わせて白壁の和風建築ですが、メイン施設の「まちんなか交流館」の内部は吹き抜けのホールとなっていて、壁面のアクセントにはポルトガルのアズレージョ(装飾タイル)が用いられ、中庭にはパティオの噴水をイメージしたオブジェなどがあったりします。「まちんなか交流館」にはマカオから贈られたポルトガル帆船の模型や臼杵の南蛮文化に関する展示があるほか、ワイドスクリーンを備えたホールは、事前に申し込めば研修やイベントにも使用可能だそうで、いつかここで友の会の研究発表会など開催してみたいものです。

08120709 08120710

昼食は「サーラ・デ・うすき」の中にある和洋折衷のレストラン「ぽると蔵」で、「南蛮御膳」をいただきましたriceball。御膳のメインは大分の郷土料理の一つ、クチナシで着色した炊き込みご飯「黄飯」です。「パエーリャ」とのつながりは果たしてありやなしや??

08120711 08120712

昼食の前後に臼杵中心街を散策。古民家を保存修復し、電柱の地価埋設や石畳を敷いて、歴史的景観の保存を意識的にはかっている地区もよかったのですが、個人的には港町商店街界隈の、特に意識的な仕掛けはないけれど、逆に日常的な中に「自然に漂う昭和の哀愁」もなかなか捨てがたいものがありました。画面には映っていませんが、この道沿いに実に風情のある床屋さんがあり、入ろうかと思いましたがその週に散髪をしたばかりなので無理でした。

08120713 08120714 08120715

臼杵城はかつては臼杵沖に浮かぶ「丹生島」という島だったそうで、現在周囲は埋め立てられて道路や市街地になっていますが、小高い丘の上に立つ城のロケーションを遠くから眺めると、なんとなく周囲が海だった当時の様子がしのばれます。その臼杵城近くには味わいのある会堂建築のカトリック教会が立っています。鐘楼がなんとなくスペイン風に見えるのは気のせい?

08120716

その後別府大の先生方に大分駅までお見送りいただき、帰途に着きましたが、帰りの電車を待つ時間を利用して、大分駅近くのアーケード街「ガレリア竹町」に設置された帆船モニュメントを見学。「日本ポルトガル交流450年」(1543年の種子島到達から450周年)にあたる1993年に、ポルトガル政府から大分市に寄贈された帆船模型wave(正確な縮尺はわかりませんが、「サーラ・デ・うすき」のものよりは大きいようです)とアズレージョ(水槽とベンチ部分)をもとにしています。ちなみに後ろのサンタクロースはキリシタンとは直接の関係はなく、商店街の季節の飾りつけxmasのようです。

なお、今回は紹介できませんでしたが、臼杵市は作家pen野上弥生子の出身地でもあり、生家houseは「野上弥生子記念文学館」として公開されています。彼女は1938年から1年あまり欧米各地を旅行しship、その見聞は『欧米の旅bookに記されていますが、内戦の戦禍さめやらぬスペインにも立ち寄っていて、その点ではスペイン現代史とも思わぬ接点があります。今回の訪問をきっかけに、トーレスやポルトガル商人に習って(?)、今後大分方面にも友の会のネットワークを広げて生きたいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)