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報告要旨 花方寿行(2023年8月17日)

九州スペイン研究会 2023年後夏季研究大会要旨(2023年8月17日 久留米大学福岡サテライト)
フンボルトを通して環境を読む―19 世紀イスパノアメリカ知識人の場合―

        花方寿行

 

 プロイセン貴族の家に生まれた博物学者、地理学者アレクサンダー・フォン・フンボルト(Friedrich Heinrich Alexander von Humbolt, 1769-1859)は、パリで知り合ったフランス人博物学者エメ・ボンプランと共にイスパノアメリカ探検を計画。1799年カナリアス諸島探検を経て現ベネズエラに赴き、カラカスを拠点に周辺やオリノコ河流域を探検する。続いて再びキューバを経て現コロンビア、現エクアドル、ペルーを探検、メキシコに戻り、1804年にヨーロッパに帰還した。この探検に基づいて刊行された『新大陸赤道地方への旅 Le Voyage aux Régions équinoxiales du Nouveau Continent』(ボンプランとの共著、1807)は同時代的に広く読まれ、自然地理学の基礎を築いたとされる。

 この長期にわたる探検旅行とその前後において、フンボルトはシモン・ボリーバルやカルロス・デ・モントゥファルといった、後にスペインからの独立戦争で重要な働きをする人物と親交を持つ。アンドレス・ベリョ (Andrés Bello, 1781-1865)のように直接この時知り合った人物もいるが、19世紀初頭のイスパノアメリカ文学との関係で重要なのは、何よりも著作に表れたその自然の捉え方と表現である。
 フンボルトはまず地質学的に「地形」に注目し、そこに気象条件などの要因が加わりどのような植生が生ずるか、さらにどのような動物類がそこに生息するかで全く異なる「自然環境」となるかを調査した。そしてそうした「自然の様相」を文章と挿画の両方を用い絵画的に描写、一幅の「絵」に地形・植生・生物相を凝縮してタブローとして提示した。こうしたフンボルトの自然表現は、視覚による(無時間的な)真実の表現としては18世紀の古典主義視覚観に属する一方、光線の変化や動植物の動きが(時間的に)表現される点で19世紀のロマン主義視覚観に移行しつつあるものだった。

 フンボルトのこのような描写は、イスパノアメリカ独特の自然環境を新生独立諸国のナショナル・アイデンティティのシンボルとして称揚しようとする作家たちによって、早速利用された。ベネズエラ出身で後半生をチリで過ごすアンドレス・ベリョは、先に述べたようにフンボルトと直接面識もあったが、ロンドンへの亡命中雑誌El Censor AmericanoやEl Repertorio Americanoに『新大陸赤道地方への旅』の紹介や部分抄訳を発表している。また代表作である長編詩「熱帯地方の農業に捧ぐ A la agricultura de la zona tórrida」(1826)では、出身地であるベネズエラのカリブ海沿岸部を念頭に、現地の植物(農産物)を学術的な注をつけながら絵画的に紹介。ロマン主義的な動きの表現は自然描写では強くないが、フンボルトの行った自然の絵画的表現に最も忠実なものとなっている。

 キューバ出身でイスパノアメリカ・ロマン主義の先駆者とみなされるホセ・マリーア・エレディア(José María Heredia, 1803-1839)の、メキシコを舞台とした代表作「チョルーラ神殿にて En el teocalí de Cholula」(1820)冒頭には、フンボルトの『山脈の景観』におけるチョルーラ神殿訪問の記述の他、「草原と沙漠について」や「植物観相学試論」での自然描写の影響が見られる。また日没に伴う光の変化の描写には、フンボルトのロマン主義絵画的な側面が影響している。

 アルゼンチン出身でイスパノアメリカ最初のロマン主義者とされるエステバン・エチェベリーア (Esteban Echeverría, 1805-1851)の代表長編詩『虜囚 La cautiva』(1837)冒頭のパンパ描写には、フンボルト「草原と沙漠について」の影響が指摘されている。ただしここには「チョルーラ神殿にて」の影響が明確にあるので、直接フンボルトに由来するかは不明である。それに対して同じアルゼンチン出身のドミンゴ・F・サルミエント(Domingo Faustino Sarmiento, 1811-1888)は代表作『ファクンド Facundo』(1845)において、「草原と沙漠について」における同じ堆積平地上の植生の違いによって沙漠・草原・森林という異なる環境が生じるという説明を利用して、アルゼンチン全土をパンパに、アルゼンチン人の気質をガウチョのものに還元する独自の国民性論を展開し。フンボルトも示唆する環境決定論に基づきアルゼンチンの国民性を規定し、ガウチョを国民のシンボルとする後のアルゼンチン国民論に大きな影響を与えることになる。

 19世紀前半イスパノアメリカにおいてフンボルトは中南米の自然環境のみならず歴史・社会研究においても権威とされており、特にスペインからの独立正当化にその文章が広く援用された。ただし環境決定論的に直接社会論と結びつけたのはサルミエントくらいで、文学作品においては自然環境を絵画的に表現するロマン主義的な描写が作家たちに強い影響を与えたと言える。

 

参考文献
Cuesta Domingo, Mariano. & Rebok, Sandra. (coordinadores) Alexander von Humboldt: Estancia en España y viaje americano. Madrid: Real Sociedad Geográfica, Consejo Superior de Investigaciones Científicas, 2008.
花方寿行『我らが大地――19世紀イスパノアメリカ文学におけるナショナル・アイデン ティティのシンボルとしての自然描写』晃洋書房, 2018.
フンボルト、アレクサンダー・フォン『フンボルト 自然の諸相――熱帯自然の絵画的記 述』木村直司編訳, ちくま学芸文庫, 2012.
Pratt, Mary Louis. Imperial Eyes: Travel Writing and Transculturation. London, New York: Routledge, 1992.
Zea, Leopoldo & Magallón, Mario. (compiladores) El mundo que encontró Humboldt. México D. F.: Instituto Panamericano de Geografía e Historia, Fondo de Cultura Económica, 1999.
   

 

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