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報告要旨 押尾高志(2022年8月20日)

2022年度夏季研究大会要旨(2022年8月20日 大村市コミュニティセンター)
ムスリムから見た近世スペイン :アラウィー朝外交使節の記録から

押尾高志

 17世紀のモロッコでは、王位継承争いの勃発と内戦で衰退したサアド朝(1510〜1659年)にかわってアラウィー朝(1631年〜)が同地域の支配王朝として台頭する。アラウィー朝の支配はモロッコ全土に及んだとはいえ、地中海・大西洋沿岸部に位置する主要な港湾都市は、依然としてスペイン・ポルトガル両国の支配下にあった。1672年に即位したスルタン、ムーレイ・イスマーイールMawlāy Ismāʿīl ibn Sharīfは、国内行政の整備および、黒人奴隷軍の組織など軍事力の強化を行い、オスマン帝国領アルジェリアへの介入や、スペイン・ポルトガル両国の支配にあった地中海・大西洋沿岸部の港市に対する再征服を行った。大西洋沿岸に位置するアラーイシュ(ララーチェ)もその一つで、同都市はムーレイ・イスマーイールによって1689年に奪回された。アラーイシュ奪回の際に生じたスペイン側捕虜の扱いと解放について、スペイン・モロッコの両国は外交交渉を持つことになり、1690年にはアラウィー朝からハプスブルク朝スペインへ外交使節が派遣された。


 本報告は、上記の外交使節をつとめたガッサーニーMuḥammad ibn ‘Abd al-Wahhāb al-Wazīr al-Ghassānī al-Andalusī al-Fāsī (d. 1707)によって書かれたスペイン滞在報告書『捕虜解放のための大臣の旅Riḥlat al-Wazīr fī Iftikāk al-Asīr(以下、捕虜解放の旅)』を中心に、アンダルス(イスラーム支配下のイベリア半島)に出自を持つマグリブのムスリムが、どのように17世紀末期のカトリック・スペイン社会を観察し、その現実を通してアンダルスの過去をいかに想起したのかの一端を明らかにすることを目的とした。


 ガッサーニーの使節は、アラウィー朝とハプスブルク朝スペインの間の重要な外交案件であった戦争捕虜の解放という問題を解決するために派遣された。彼の『捕虜解放の旅』は、ムスリムの視点から17世紀末のスペイン社会がどのように認識されたのかを探る重要な史料であり、また自らもアンダルス系ムスリムであるガッサーニーがアンダルスの過去をどのように記憶しているのかを垣間見ることができる史料でもある。
 『捕虜解放の旅』では、その題名とは裏腹に、捕虜解放交渉に関しては短く簡潔に交渉の最終段階(カルロス2世との謁見の場面)のみが記されている。一方で、上陸港であるカディスからマドリードまでの道中で一行が立ち寄ったスペインの村々の情景や社会制度、スペインの歴代君主たちとその事跡、宗教行事などガッサーニー自身が見聞きした事柄についての記述は豊富かつ詳細である。加えて、マドリードに集まったヨーロッパ各国の大使や、彼らからもたらされた情報をもとに、最新のヨーロッパ情勢を可能な限り正確に伝えようとする著者の姿勢も見て取ることができる。


 ガッサーニーにとって、この旅の公的な目的は、スルタンの臣下として捕虜解放交渉を行うことにあったが、その道中は自然と自らの父祖であるアンダルス・ムスリムが暮らした土地を訪ね歩くものとなった。それゆえに、アンダルスにおけるムスリムの歴史や、モリスコたち(16世紀前半にカトリック信仰に改宗した元ムスリム)の子孫についての描写には、現在マグリブに居住しているその子孫たちとの関係をうかがわせる形になっている。たとえば、実際は16世紀前半(1502年〜1526年)にスペイン全土でムスリムに対するカトリック信仰への強制改宗が行われているにもかかわらず、16世紀後半のアルプハーラス反乱失敗後に強制改宗が行われ、17世紀初頭の全体追放の際にはカトリック信仰に改宗した者はスペインに残留したと明らかに事実と異なる内容が述べられている。これはガッサーニー自身を含め、モロッコへ移住してきたアンダルス系ムスリムやモリスコたちが、キリスト教への改宗を経験していない真正なムスリムであることを示唆し、その名誉を守るための記述であると推測される。


 また、『捕虜解放の旅』は、ガッサーニーとその一行がマドリードからモロッコへ向けて出立したのち、帰路でトレドに立ち寄ったという記述で、17世紀末スペインに関する記述は終わる。その後は、8世紀初頭のイスラーム勢力によるアンダルス征服について、いわば過去の「イスラームの栄光の歴史」が語られる。同箇所は、ヨーロッパの研究者からは、既知の歴史的事実の羅列であるとして、従来ほとんど等閑視されてきた。このように、アンダルス征服の歴史についての記述を挿入するというスタイルは、ガッサーニー独自の文体ではなく、17世紀前半にモリスコの著述家がチュニスで記した著作でも確認される。マグリブに渡ったアンダルス系ムスリム、そしてモリスコたちにとって、失われた故地であるアンダルスの歴史を、自らの現在と照らし合わせて、どのように解釈するのかは、自らのイスラーム的正統性を補強するための共通のテーマであったのだろう。これらのアンダルス表象の比較検討は今後の課題としたい。

 

 

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