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報告要旨 椎名浩(2017年8月10日)

九州地区スペイン研究友の会 2017年度夏季研究大会報告 (2017年8月10日 北九州市立大学)
関係断絶期の日本におけるスペイン情報伝達の時代局面―オランダ風説書の記事を中心に
椎名 浩

はじめに
 1624年にスペイン船の来航が禁止されてから、1868年に日西修好通商条約が締結されるまでの240年余りは両国関係の断絶期であり、それはまた、幕藩体制下のいわゆる鎖国期とほぼ重なる。しかしこの時代にも、今回取り上げるオランダ風説書他を通じて、幕府当局はリアルタイムのヨーロッパ情勢を相当程度把握していた。また漢書のちにはオランダ語書物を通じ、知識人の間で各国地理の知識も共有されており、スペインもその例外ではなかった。同時に、スペインがかつての大国の地位を退いたことも認識され、幕末・明治以降の同国への低い関心は、既にこの時期に胚胎していた節がある。報告者はこのような問題関心にたって2015年に両国関係通史の共著を執筆し、これと前後してオランダ風説書他いくつかの史料についての論稿を発表した。
これらを執筆していくうち、ことは近世の対外関係・対外認識あり方に関わる問題を含むことに気づき、既出の論稿に加筆する形で一冊の著書に仕上げる計画を思い立ち、目下執筆中である。「既出論稿の合本+α」という作業の経緯もあり、当初史料類型に即した章構成を予定しており、昨年人吉温泉で行った夏合宿での報告もそれに沿ったものであった。
 だがその後執筆を進めていくうち、240年間を一様な「鎖国時代」としてあつかうより、その中での経緯変遷を踏まえて構成した方がより実り多いと考えるようになった(福岡女学院大で担当した講義中このテーマを複数回取り上げた際の作業体験も大きく影響した)。そこで報告者は、松方冬子氏の2010年の著書での時代区分(カトリックの脅威の時代・知的好奇心の時代・近代国家の脅威の時代)からヒントを得て、全体を時代順に17世紀・「短い18世紀」・19世紀(幕末開国まで)の3部構成とし、目下この方針にそって改稿・執筆を進めているところである。
 もとより両国関係断絶期の大半(1641~1857年)にわたって作成され続けたオランダ風説書は、この構成では3つの章に分割した形で言及せざるを得ないが、裏を返せば、オランダ風説書記事の分析が、鎖国期日本の対外認識・関心の変遷を最も鮮明に表すという意味で、著書全体の「縦軸」としての役割が期待できるということでもある。しかも今回お話しするように、風説書の中でのスペイン関連記事の消長は、スペインの歴史の歩みと「出来すぎ」なほどに同調するような動きを見せており、グローバル・ヒストリーの観点からも興味深い素材を提供しうるのではないかと考える。

1.風説書全体の中での、スペイン関連記事の特徴
 『集成』に収録されたオランダ風説書には、何らかの形でスペイン(「イスパニヤ」「南蛮」他のうちスペインと解釈できるもの)、メキシコ、フィリピンに言及した記事が73件存在する。うちフィリピンに言及した記事が9件、ヌエバ・エスパーニャの記事が2件(ともにフィリピンと同時に言及)、独立後のメキシコに触れた記事が1件ある。
 オランダ風説書に登場する国名・地名(風説書全体に当然あまねく登場するオランダ・バタヴィアをのぞく)を記事数順に並べてみると、スペイン関連記事はフランス(180件)、イギリス(158件)にはおよばないものの、その他の国の中では登場頻度の高いグループに属する。
 風説書に一定数の記事がみられる国々の顔ぶれをみると、
 ①南蛮・キリシタン国
 ②オランダのライバル・敵性国
 ③ヨーロッパの情勢に影響を与える国
 ④十八世紀末以降、日本近海を騒がすようになった国 
という傾向がみられる。このうち②にはオランダ側の事情が反映し、他は主に日本(幕府)側の関心を反映したものだが、これらの要素は互いに影響し合っている。とくに①と②は密接に関連しあって風説書の成立にかかわっているし、オランダが②とみなす国について、日本側の①への関心(懸念)に沿う情報を送ることで、自国の対日関係を維持する意図がみられる。
 記事数がとくに多い国のうち、イギリスは①をのぞく3要素を兼ね備え、他方フランスはカトリック国だが①の要素は薄く、もっぱら③の中核的存在で状況によって②となる国であった(幕末まで④の要素は薄い)。③に当てはまる国としては他にオーストリア(35件)、トルコ(29件)、プロイセン(19件)、スウェーデン(14件)等があげられる。ロシア(53件)は17世紀末~18世紀に入る頃から③としての存在感を増し、18世紀末からイギリスと並んで④の主要国となった。スペインは①②の代表国であるとともに、意外と遅い時期まで、③の点でも重視される国であった(表1参照)。

2.スペイン関連記事の「出来すぎた」時系列
 またスペイン関連記事を時系列でみると、元禄9(1696)年風説書まで、元禄15(1702)年風説書から天明4(1784)年風説書まで、そして文政6(1823)年風説書から弘化元(1844)年風説書(オランダ風説書本体にスペイン記事が見られる最後)までという、3つの時期および記事群に大別できる。そこで報告者は1701年までを第1期、1702~84年を第2期、また次にスペイン記事が現れる1823年までの、38年間にわたる沈黙をそれ自体意味のあるものと考え、これを「空白期」という意味での第3期とし、1823~44年を第4期とする。
 第1期は、該当する風説書が61年間に17(記事数22件・以下同)、第2期は83年間に32(36件)、第4期は22年間に13(15件)である。
 1843年から、バタヴィア政庁が作成した「別段風説書」が幕府に提出されるようになった(57年まで)。ここでは11年間に10件記事がみられる。
 これらのうち第1期はハプスブルク・スペイン衰退期、第2期はブルボン朝啓蒙改革の時代、第3期はアンシャン・レジーム解体期、第4期と別段風説書は自由主義改革の時代というように、スペイン国内の時代状況と奇妙なほど同期しているのは興味深い(表2参照)。
●表1、表2 →「2017.pdf」をダウンロード

3.各時代のオランダ風説書におけるスペイン記事の概要
 以下、2に示した時期区分にしたがい、具体的なスペイン記事を見ていくが、時間の都合上、詳細は別紙(一覧表、風説書抜粋)をご覧いただきたい。
i. 第1期(17世紀末まで)
 この時期の冒頭こそ、日本側の禁教政策と一致して対日関係の独占的地位を得る源泉となった反カトリック(反イベリア)戦略が前面に出ているものの、1648年のウェストファリア条約以後は、フランスことにルイ14世の領土拡張策(その中でスペイン領ネーデルラントがオランダにとっての「緩衝地帯」として重要になる)が、スペイン記事においても大きな位置を占めるようになる。もっともカトリック関連の記事も引き続きみられ、中国やフィリピンでの布教、カトリック教徒と結婚したジェームズ2世の即位(実際にはモデナ公女であるマリアを、あえてスペイン王女としているのは興味深い)といった記事がみられる。その他、ポルトガル在住のユダヤ人(?)の活動、バターン島からの漂流民送還、ガレオン船貿易についてふれている。
 ii. 第2期(18世紀末まで)
 この時期はまずスペイン継承戦争に関する記事が、シドッティの来着記事をはさんで冒頭の一群をなしており、個々の戦闘に関する記事も見られる。その後も、オーストリア継承戦争、七年戦争、アメリカ独立戦争といった国際戦争の記事に、スペインが参戦国の一つとして言及される。また(風説書全体に言えることだが)スペイン王家の動向にも一定に行が割かれており、スペインそのものの重視もさることながら、そうした事柄が政治・外交の重要な要素であるという点について、洋の東西を問わず「近世国家」共通の認識をうかがわせ興味深い。その他、スペインの大艦隊がインド洋方面に向かっているというフェイクニュース(!)、リスボン地震、七年戦争にからむイギリスのマニラ占領、オランダ周辺情勢の緊迫という不確定情報、ロシアのシベリア進出を認識せしめたペニョフスキの脱走事件に関する記事がみられる。
 iii. 第3期(空白期)
 この間、ナポレオンの侵攻(1808年)、カディス議会(1811年)、1812年憲法、ラテンアメリカの独立といった、スペインの近世・近代転換期の重大事件が起きている(情報の送り手であるオランダ自身ナポレオンの軍門に下り、日本での地位の維持に腐心していた)。したがってラテンアメリカの独立について風説書には具体的な記述がないにも関わらず、続く第4期のでは独立後のメキシコが既知の地名としてあつかわれている(天保10(1839)年風説書、前年のフランス軍によるベラクルス港占領を伝える記事)。
 iv. 第4期(1820~40年代)、別段風説書(1850~50年代)
 第3期の長く重要な空白期間を経て、第4期にはロシアやイギリスの来航もあって日本側の対外関心は鋭くなっていたものの、スペインへの関心はむしろそれゆえに低下し、この時期は第一次カルリスタ戦争を中心に、主にスペイン国内の不安定な政治情勢が伝えられ、イサベル2世の親政開始で終止符が打たれている。
 「別段風説書」は、1845年度までは主にアヘン戦争とその後の清英関係の推移を伝えていたが、その後は他の世界情勢も伝えられた。うちスペイン関連記事は第二次カルリスタ戦争などの国内情勢、フィリピンの動向といったことが主な内容で、おおむね風説書本体の第4期における方向性を引き継いでいる。

4.オランダ風説書スペイン記事についての小括
 各時代のオランダ風説書におけるスペインの位置付け・注目点、別の言い方をすればスペイン記事が一定の頻度で取り上げられる動機を、2に掲げた時期区分にそってまとめると以下のようになる。
 第1期―「日蘭共通の敵」(前半)→オーストリアと同盟してフランスと対抗する国(後半)(オランダとの関係は是々非々)
 第2期―フランスの同盟国(オランダとの関係は是々非々、フランスとの関係しだい)
 第3期(空白期)―ヨーロッパ全体を巻き込む大事件(フランス革命~ナポレオン戦争)に埋没。オランダ自身が「スペイン情勢どころではない」。
 第4期、別段風説書―国内政情が不安な国
 鎖国開始間もない1648年のウェストファリア条約でスペインからの独立を確保したオランダにとっては、第1期の早い時からすでにスペインは第一義的な脅威ではなく、海外においてはイギリス、近隣においてはフランスに移っていたが、幕府の側にはいまだ「キリシタンの大国スペイン」の残像があるので、自国がスペインの同盟国と受け取られないよう注意がはらわれた。一方で、ジェームズ2世の件のように、オランダこの「残像」を積極的に利用する場合もあったようである。18世紀に入ると、内外情勢の安定もあり、日本側でもキリシタンひいてはスペインへの深刻な脅威感(その裏返しとしての強い関心)は薄れたが、なおヨーロッパ有数の国土の人口をもち、さらに広大な海外領土と海上交通路に君臨するスペインの動向は一定の関心をひいたようである。
 別の視点からするとこうも言える。明治以降の日本人のスペインへの無関心は、その直前の幕末開国時の海外情勢への関心の高まりの中でにわかに定着したものではなく、それ以前からの海外認識の蓄積にさかのぼるものであると思われる。反面、17世紀半ばからのスペインの覇権喪失、各分野での「衰退」という史実を知る我々は、ほぼ同時期の関係断絶にともない、日本側の同国への関心も早々に、一気に低下したと考えがちだが、そういうわけでもなさそうだ。いささか乱暴なまとめ方をすれば、スペインに対する関心は17・18世紀(本報告でいう第1・2期)を通じてゆっくりと冷めていき、19世紀の到来(正確には「短い18世紀」の終わり)とともに、他のより切実な関心に埋没する形で決定的に低下した。この態度は、幕末および明治以降も基本的に踏襲された、と言えそうである。

5.まとめと展望
 「風説書世界システム」?
 2で示した「出来すぎた同時代性」については、E.ウォーラーステインの「近代世界システム(スペインは「半周辺」)」の枠組みを持ち出したい誘惑に駆られるが、こうした便利な枠組みは、その反面判断停止につながりかねないので、慎重な扱いを要する。ここでは、おそらくスペイン記事の消長はオランダ風説書の記事全体の動向と関わっており、さらにそれは幕府の対外関係に関する一般的な関心・認識のあり方と結びついている可能性を指摘するにとどめたい。
 「欧羅巴諸州ならびに印度辺」
 日本(幕府)側の関心ということで1点だけ指摘すれば、風説書成立の経緯からしても、「誰が海上の覇権を制しているか、今後制しうる潜在力を持っているか」が関心の重要な核の一つであったことは想像に難くない。その際キーになる存在は、第1期はオランダ自身、第2期以降はイギリスであろう。そう考えると、既に述べたように風説書にはラテンアメリカ独立に関する記事はないが、第2期までは一定数見られたスペイン記事が、同国が海外領土の大半を手放すのと相前後して消失ないし激減する点は示唆的である。
 また、風説書で海外情勢全般を総括するくだりで多用される「欧羅巴諸州ならびに印度辺」という表現も含蓄が深い。この「インド」という言葉も多義的だが、ここでは、出島に来航したオランダ人が、本国を発ち喜望峰を迂回して以降に通過・停泊した海域、およびそこで情報を得た周辺地域の総体ととれる。幕府当局にしてみれば、西廻り航路による日本へのアクセスは、まさしく日西関係の断絶によって断ち切っているので、あとはこのポルトガル以来の東廻り航路の途上で何が起き、誰がこの航路の支配者としてとってかわりうるかが最大の関心事だったわけである(オランダは当然、それは永続的に自国だと主張する)。
 そのように考えると、スペイン本国より身近なはずのフィリピン、およびその背後のメキシコに関する記事が思いのほか少ないのもうなずける。こうした関心の枠組みは19世紀に入り、太平洋に英米船が頻々と来航することで変化したが(決定的にはペリー来航であろう)、スペインはもはやこの「太平洋インパクト」の主役たりえなかった。
 オランダ風説書と他の史料群―縦軸と横軸
 今後は、今回取り上げたオランダ風説書という縦軸に対し、各時代の地理書など様々な類型の史料をいわば横軸として交錯させながら、風説書のリアルタイムな「情報」と他類型史料の「知識」との相互影響・補完関係、幕府当局者から広く当時の知識・教養層におけるスペイン認識の共有、風説書が示す時代局面が、他類型の史料でのスペイン認識の変遷とどの程度同期しているのか、などといった点をさぐっていきたい。

参考文献

オランダ風説書関連
日蘭学会、法政蘭学研究会編『和蘭風説書集成』(上・下)吉川弘文館、1977-9年。
木崎良平「「オランダ風説書」所載のロシア関係記事について」『鹿児島大学史録』1、1968年。
北野耕平「嘉永三年和蘭風説書:資料紹介」『海事資料館年報』(神戸商船大)7、1979年。
幸田成友「寛政九巳年の和蘭風説書」『史学』(慶応大)16-3、1937年。
松方冬子「オランダ風説書の終局―1853~59年」『論集きんせい』(近世史研究会)28、2006年。
松方冬子『オランダ風説書と近世日本』東京大学出版会、2007年。
松方冬子『オランダ風説書 「鎖国」日本が知った「世界」』中公新書、2010年。
松形冬子『別段風説書が語る19世紀 翻訳と研究』東京大学出版会、2012年。

鎖国日本の対外認識一般
荒野泰典「近世の対外観」『岩波講座 日本通史13 近世3』岩波書店、1994年所収。
荒野・石井・村井編『日本の対外関係5 地球的世界の成立』吉川弘文館、2013年。
荒野・石井・村井編『日本の対外関係6 近世的世界の成熟』吉川弘文館、2010年。
荒野・石井・村井編『日本の対外関係7 近代化する日本』吉川弘文館、2012年。
岩崎奈緒子「世界認識の転換」『岩波講座 日本歴史13 近世4』2015年所収。
開国百年記念文化事業会編『鎖国時代日本人の海外認識』原書房、1978年(初版1953年)
川村博忠「日本近世絵図にみる領域・世界観」『アジアの歴史地理1 領域と移動』朝倉書店、2007年。
宮崎道生『新井白石の洋学と海外知識』吉川弘文館、1973年。
吉野政治「五大州―鎖国時代の世界地理認識」『学術研究年報』(同志社女子大)60、2009年。

関係断絶期のスペイン情報に関するもの
蔵本邦夫「江戸幕末・明治の『ドン・キホーテ』」『サピエンチア』(英知大)22、1988年。
蔵本邦夫「幕末洋学研究と『ドン・キホーテ』―我が国最初の輸入『ドン・キホーテ』本をめぐって」『イスパニア図書』12、2009年。
蔵本邦夫「移入史初期の『ドン・キホーテ』をめぐって」『外国語教育フォーラム』(関西大)12、2013年。
中川清「日本・ラテンアメリカ交流史(Ⅰ)」『白鴎法学』4、1995年。
坂東省次「幕末・明治期のスペイン像」『Problemata mundi』(京都外大)10、2001年。
坂東省次「日本におけるスペイン学の歩み」坂東編『スペイン関係文献目録』行路社、2005年所収。
 坂東省次・椎名浩『日本とスペイン 文化交流の歴史 南蛮・キリシタン時代から現代まで』原書房、2015年(とくに第4章「鎖国時代のスペイン情報」)。
拙稿「オランダ風説書におけるスペイン関連記事」『スペイン学』15、2013年。
拙稿「江戸期地理書におけるスペイン関連記事」『スペイン学』17、2015年。
拙稿「『甲子夜話』における海外関連記事―スペイン・マニラ関連記事を中心に」『スペイン学』18、2016年。

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