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報告要旨 椎名浩(2016年8月13日)

2016年度夏季研究合宿報告(2016年8月13日 人吉温泉「国民宿舎 くまがわ荘」)
鎖国時代におけるスペイン関連情報・認識・関心―中間作業報告と今後の展望をふまえた備忘録
椎名 浩

I. これまでの経緯
 報告者が今回の報告に連なる一連の作業に着手したきっかけは、16世紀~現代までの日西関係の通史[坂東・椎名、2015]を執筆したことである。字数の限られた概括的な文章では、いきおい両国関係の「空白期間」としてひと飛びにされがちな、1624年(スペイン船来航禁止)と1868年(日西修好通商条約締結)の間の240年あまりは、実は16世紀以来の日西関係史上最長の期間であり、本格的な通史を述べようと思えば「空白」としてとどめるわけにもいかず、一つの「時代」としてあつかう必要が生じた。そこで「関係史」を関心を直接的な国家間関係・交通・貿易にとどめず、当時の日本へのスペイン情報や知識の伝播、それについての日本人の側の関心の有無にも広げた。(*既刊の文献では[坂東省次、2005]がこの問題に着目、新井白石と朽木昌綱を取り上げている)。報告者はこの関心に沿って、史料類型ごとにオランダ風説書、各時代の地理書、江戸後期の平戸藩主松浦静山が執筆した随筆『甲子夜話』を取り上げた論文[椎名浩、2013:2015:2016]を執筆、うちオランダ風説書と地理書について検討した[2013][2015]の内容を通史第4章に反映させた。現在はフィリピン諸島、北米の旧スペイン領域への漂流記録をあつかった論稿を準備中である。
 さて、このように当初は通史執筆の必要に迫られて着手した一連の作業であるが、作業を進めていくうち、単なる「空白埋め」にとどまらず、近世日本の対外関係・対外認識のあり方に関わるテーマに行きあたることに気づいた。そこで、これにその他の類型の資料についての検討を加えて、浅学を顧みず単著にまとめる野望(?)を抱いてしまったわけである。現在はその準備・執筆の過程にあるが、報告の場をいただいた機会に、問題の整理の意味でもこれまでの作業や考察を振り返り、今後の作業の展望を示したい。

II. これまでの作業で分かったこと
 1.史料の類型
 海外情報についての情報源となる文字情報を比較すると、表1のようになる。
即時的情報を鎖国時代のほぼ全期間中蓄積したという点ではオランダ風説書が、体系的な知識を提供し、かつそれが広く共有された点では地理・地誌書が、特に重要である。
江戸時代も末期になると、[椎名浩、2016]であつかった『甲子夜話』のように、(藩主という立場とはいえ)これらの情報源を自らの問題意識・知的好奇心にしたがって縦横に「活用」する営みが見られる。
 2.情報・記事・知識・認識・関心
 ナマの海外情報が文字情報化され、蓄積していく過程を、オランダ風説書を例に図式化すると、図1のようになろう。オランダ船がもらたす高度な海外情報は幕府の独占的な管理下に置かれたものの、情報獲得の最初の「現場」はオランダ人と長崎オランダ通詞とのオーラルなやりとりを基本としていた。それは、通詞とオランダ商館との日常的なコミュニケーション・情報共有を前提としたし、両者の間での暗黙の「オフレコ」の可能性も、(幕府側からみれば)甘受せざるをえなかった。
 別の言い方をすれば、幕府によるオランダからの情報収集は通詞集団という「中間団体」を通じて遂行されたということであり、日本の「近世国家」の権力論としても興味深い。
 もとより幕府も、オランダ風説書に大いに頼みつつ、それに全面的に依拠することの限界性・危険性は認識していたようであり、18世紀の享保の改革にともなう洋書輸入の緩和、江戸末期の蕃書取調処の設置などは、蘭学・洋学発達史の中で語られるが、幕府が、長崎(オランダ船→通詞のライン)とは別の、それに対抗しうる海外情報センターを構築しようとしたとみると、また興味深いものがある。
 3.時代局面とのかかわり
 松方冬子氏は、日本の対外関心のあり方の推移を、
①カトリックの脅威の時代
②知的好奇心の時代
③近代の脅威の時代 
に区分している[松方冬子、2010]。スペインは①の関心(脅威)の中核的存在であり、オランダ風説書の成立動機に関わる。「脅威」ではなくなった後も、スペイン情勢(王家の動向など)は引き続き関心をひいたようである。オランダ風説書でいえば、全体で70件強の記事がある。
 4.風説書スペイン関連記事の空白期間
 天明4(1784)年の風説書から文政6(1823)年の風説書まで、スペイン記事に約40年の空白期間が存在する。それはまた近世から近代へのスペインの激動期と一致しており、日本の対外関心が②から③の局面に移る時期でもある。1923年にふたたび現れ、以後1844年まで断続的に登場するものの、この時代になるとスペイン記事は、「近代の脅威」をするどく突きつける国々への関心に埋没した観がある。
 5.三国観から万国観へ、南蛮国からヨーロッパの中のスペインへ
 地理書においては、当初伝統的な三国観(本朝・唐・天竺)あるいは中華世界観を援用しながら、伝統的空間の外延部に到達し、そこから来日した存在としてスペイン人・スペイン船を位置付ける。
 その後、万国・五大州の概念が導入され、その一つヨーロッパの1国としてスペインを位置付ける。いわば同心円的・遠近法的世界観の「ルソンから来た南蛮人」から、俯瞰的万国観の「ヨーロッパの中のスペイン」への変化、ないし理解の深化である(図2参照)。
18世紀末以降は地誌情報が詳細になるのに加え、自国と交渉を開始する以前~同時代に至る歴史歴経緯も理解されるようになる。
 6.意外と含蓄ある「いすぱにや」理解
 江戸期の「いすぱにや」は当初ポルトガルを含む概念で、実際に交渉のあった時期の用語「南蛮」と同定される。ローマ属州名に語源を発するHispaniaが伝統的にイベリア半島全体をさす地理的概念だったことと一致している。海外進出の果てに日本にも来航したのは「かすていら」(カスティーリャ)であったという理解は中・近世イベリアの「複合王政」とも符合し、理解不足というよりむしろ正鵠を得ている。
 その後18世紀末には、「いすぱにや」の指すところはポルトガルを除いた実体的政治領域(こんにちの「スペイン」に近いもの)に移る。日本側の理解の深まりもさることながら、情報源であるヨーロッパでの変化が影響している要因も大きい。
 7.『甲子夜話』にみるスペインへの関心
 松浦静山の随筆『甲子夜話』では、かつて貿易と並行してキリシタン流布の拠点となったルソンと、最近のヨーロッパ情勢についての記事に現れるスペインが結びついていない。松浦静山は海外の文物に持ち前の知的好奇心を示しつつも、平戸藩主として同時代の対外情勢への関心も強く、スペインの地理・歴史を定点的に流れとしてみるというより、同時代の情勢に対応する「鑑」「戒め」としてかつての南蛮・キリシタン時代を見ている。
●参考:表1、図1、図2→ 「201602.pdf」をダウンロード

III. 今後の展望
 1.多様な史料類型とスペイン情報の流布・活用
 検討途上の漂流記録をふくめ、さらに多様な類型の資料を検討していきたい。とくに禁教・鎖国の過程と並行して登場した反キリシタン書、史書、軍記、さらに大衆文学・芸能作品は、情報源との関係では二次的・三次的史料であるが、スペインへの認識・イメージ形成にとって重要であるとおもわれる。
 2.幕末・明治の展望―消極的無関心から積極的低評価へ?
 今回検討した両国断交期の240年間は単に長いだけでなく、明治以降のスペイン認識の基礎を作った点でも重要である。とくに江戸末期の関心の低下は、明治以降のスペイン軽視・無関心を準備したと言える。ただ明治初年の知識人は、欧米諸国に対してもう一歩踏み込んだ優劣比較を行っている(その中でスペインが「劣位」に位置づけられるのは言うまでもない)。代表的な例としては、岩倉使節に同行した久米邦武が著した『米欧回覧実記』が挙げられる。
 こうしたスペインに対する積極的な(?)低評価は、江戸後期の単純な関心低下からは、やや質的変化をともなうようにも見える。こうした態度の背景には、欧米モデルの近代国家建設の緊急性と、使節や留学を通して欧米の現地を見聞出来るようになったことがあるというのは容易に想像できるが、優劣比較については幕末にその素地があったのかどうかが興味深いところである。
 3.そのころ、スペインのほうはどうしてたんだ!?
 かつて膨大な日本情報をヨーロッパに発信したスペインでは、この間どのような日本情報が流布していたのか。「相互の情報伝達」という観点からは、並行してこちらの動向も確認したい。17世紀中は各地の都市史・地方史の著作で、地元出身の宣教師の殉教伝がよく紹介されたが[椎名浩、2011]、18世紀の啓蒙期、18世紀前半までについては未確認で、今後の課題としたい。
 4.執筆方針の抜本的見直し
 最後に、今回の報告後に考察したことをもう1点加筆して結びとしたい。冒頭でふれた著書を構想するにあたって、報告の時点では史料類型ごとの章構成を想定していた。それは既刊の数点の論稿の合本+αという作業見通しの中で、(あまり深く考えずに)自然に浮かんだ発想であったが、その後、報告者が担当している大学講義でこのテーマを複数回取り上げる機会があり、その際、II-3、4で紹介した①~③の局面も念頭に置きながら、鎖国当初~幕末までを時代ごとに区切って構成した方が話しやすく、聴きやすいとの印象を得た(後者は報告者の勝手な印象だが)。おそらくこれは、想定している著作の「書き手」と「読み手」の関係にも通じるものがありそうだ。
 そう考えながらあらためて先の時代局面をながめると、①はハプスブルク朝の末期にあたり、①から②への過渡期にあたる新井白石はブルボン朝の開始とスペイン継承戦争の報に接し、③に入る時期、ことにオランダ風説書の空白期はアンシャンレジームの解体期に対応するなど、日本の対外関係・関心の画期とスペイン史上の重要局面がおもしろいほどに重なっていることに気づく。これは偶然の一致というより、おそらく日西ともに共通した、ある「世界史」的状況の中にあったことを示唆している。今後は、こうした時代局面の変化を踏まえた形に改稿しながらの執筆作業になりそうである。この場合、考察する時代の大部分にわたって継続的に作成されるオランダ風説書が全体の「縦軸」となりうると予想される。*参考:2017年8月の報告

参考文献
坂東省次「日本におけるスペイン学の歩み」坂東編『スペイン関係文献目録』行路社、2005年所収。
松方冬子『オランダ風説書 鎖国日本が見た世界』中公新書、2010年。

坂東省次・椎名浩『日本とスペイン 文化交流の歴史 南蛮・キリシタン時代から現代まで』原書房、2015年、第4章「鎖国時代のスペイン情報」。
拙稿「近世スペイン都市年代記の日本記事―マドリードとセビーリャの事例」『スペイン学』13、2011年。
拙稿「オランダ風説書におけるスペイン関連記事」『スペイン学』15、2013年。
拙稿「江戸期地理書におけるスペイン関連記事」『スペイン学』17、2015年。
拙稿「『甲子夜話』における海外関連記事―スペイン・マニラ関連記事を中心に」『スペイン学』18、2016年。

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