2022年度夏季研究大会報告要旨(2022年8月20日 大村市コミュニティセンター)
文学的トポスとしてのヨハン・モリッツ・ルゲンダス
富田 広樹
1802年3月29日、ヨハン・モリッツ・ルゲンダスは帝国自由都市アウクスブルクに誕生した。元をたどれば16世紀なかばに中央ヨーロッパにやって来たカタルーニャからの移民である一族からは、画家、版画家が輩出した。
今日、ヨハン・モリッツ・ルゲンダスの名は彼が残した膨大な新大陸にかんする絵画作品によって記憶されている。ブラジル、メキシコ、チリ、ペルー、ボリビア、アルゼンチン、ウルグアイに滞在し制作した700を超える油彩、300を越える水彩、5000を越える素描は、同時代のアメリカ大陸の自然誌、生活文化を知る上で貴重な資料となっている。現代にいたるまで、ヨーロッパからアメリカ大陸を「どう見るか」という視線の礎を築いたのはルゲンダスにほかならない。
ルゲンダスについての詳細な伝記をものしたエフレン・オルティス・ドミンゲスは、つぎのように述べている。
二世紀が過ぎてなお、ルゲンダスはわたしたちに景色の見方を教えた巨匠であり続け、世界にわたしたちのイメージを供する名高い画家
であり続け、歴史においては、わたしたちの祖先の日常生活を記録した年代記作家であり続けている。
(Ortiz Domínguez, https://a.co/5VU2tM4)
わたしたちのアメリカ大陸受容において、ルゲンダスの絵画作品が果たした役割は小さくない。
そのルゲンダスをめぐって、2000年以降、彼を主人公にした小説が相次いであらわれている。アルゼンチンのCésar Aira (Argentina, 1949-)によるUn episodio en la vida del pintor viajero (2000)、チリのCarlos Franz (Chile, 1959-)によるSi te vieras con mis ojos (2015にバルガス・ジョサ賞を受賞)、そしておなじくチリ出身のPatricia Cerda (Chile, 1961-)によるRugendas (2016)である。
異邦の画家が、なぜこれほどまでにラテンアメリカの作家を引きつけることとなったのか。アメリカ大陸の受容においてルゲンダスのヴィジュアル・イメージが同時代と後代に与えた影響が大きいことはすでに述べたとおりだが、複数の作家が競うようにして彼を文学作品に取り上げたことには、またべつの要因が求められよう。
ルゲンダスについては、20世紀なかばより研究があらわれているが、1990年代に実証的な研究と複数の展覧会が開催されたことによって再評価が進んだ。国・地域で受容と評価に差異が見られ、ブラジルでは絵画作品へのアプローチが多いのにたいして、それ以外の地域では人間ルゲンダスにフォーカスをあてていることは興味深い。
ルゲンダスはアメリカ大陸に二度渡っている。一度目は1822年から24年にかけて、ナッサウ・ウジンゲン候国出身のロシア外交官ラングスドルフのブラジルへの調査遠征に参加したが、後に離脱する。この時に描いた素描と水彩画がヨーロッパに帰ってからルゲンダスの名を高からしめた。博物学的な関心とエキゾティシズムが旧大陸の上流階級人士の注目を集めた。これがきっかけとなってフンボルトの知遇を得た。また、イタリアに渡って油彩の技術を習得した。
写真のない時代に、ルゲンダスの描く細密な自然風景は「科学的な」絵として重用された。大博物学者に鼓舞されてルゲンダスは1831年、ふたたびアメリカ大陸に渡る。その足取りは以下の通り。
1831-34 メキシコ:政争に巻き込まれ収監、死刑寸前になる。後、国外追放
1835-42 チリ:カルメン・アリアガダと出逢う
1842-45 ペルー
以後、アルゼンチン、ウルグアイを経てブラジル再訪
この二度目の新大陸行きでルゲンダスの画風は変化を見せる。アナクロニズムをおそれずにいうならば、「写真のような」絵を描くことで博物学に仕える画家であった彼は、しだいに雄大な自然を前にして自身を捉えた印象を描く画家へと変容していく。ルゲンダスが「ロマン主義」の画家になっていったということもできよう。二度目のアメリカ滞在を経て、その作風は17、18世紀に流行を見たピクチャレスク絵画や彼が敬愛したターナーのそれに近づいていく。油彩を学んだことも大きいが、芸術家としての成長がもたらした変化といえよう。
これと平行して、ルゲンダスを文学的トポスにする変化があらわれる。それは、8年にもおよんだチリ滞在においてルゲンダスが出逢い、以後16年にわたって手紙をやりとりすることになった女性、カルメン・アリアガダによるところが大きい。
農園主であり、軍人・政治家の父のもとに生まれたカルメンは1825年、ドイツ人の軍人エドゥアルド・グティケと結婚した。1835年、農園を訪ねたルゲンダスと出逢い、以後文通を続けた。
交わされた書簡のうち、カルメンの書いたものが20世紀なかば、第二次世界大戦の終わったドイツ・アウクスブルクで発見される。文学におけるロマン主義はジャン・ジャック・ルソー『新エロイーズ』(1761年)、ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ『若きウェルテルの悩み』(1774年)などに代表される書簡体小説をひとつの主戦場として花開いた。そして、カルメン・アリアガダは、ルゲンダスと交わした愛の手紙によってチリ最初の女性作家と見なされている(A companion to Latin American Literature and Cultureにも収載)。
ルゲンダスからカルメンに宛てられた手紙は散逸しており、これら書簡の受け取り手としてのルゲンダスは空白となる。ここに、多年にわたる文通によって愛を交わしたロマン主義的なルゲンダス像れぞれの作品で描いたルゲンダスは、このイメージに基づいている。いっぽう、アルゼンチンのアイラは旅の途中で雷撃に見舞われ、瀕死の重傷を負ってもなお絵を描くことに強い執念を見せた画家としてのルゲンダスを取り上げている。
このようにして、画業そのものではなく、人間ルゲンダスをロマン主義的な「登場人物」へと変化させる運動が起こったのである。
ヨーロッパとアメリカ大陸の出逢い、その不幸な出逢いがもたらしたものについては同時代人としてのラス・カサスが『インディアスの破壊についての簡潔な報告』に記録し、また現代においてはスティーブン・グリーンブラットやツヴェタン・トドロフといった論者が詳細な考察を加えている。ヨーロッパは驚嘆し、また法慣習に則った名付け行為を通じて他者の文化を占有し、また破壊してきた。博物学は、その片棒を担いできたといっても過言ではあるまい。
しかし、博物学に仕える精緻な自然画を描くことからロマン主義的な表現者へと変化していったルゲンダスは、ヨーロッパとアメリカ、あるいは博物学に見られる理性と恋愛の情熱というふたつの世界の緊張関係を横断することとなった。それこそが、文学的トポスとしての彼が持つ引力の中心であろう。
参考文献
Aira, César. Un episodio en la vida del pintor viajero. Rosario : Beatriz Viterbo, 2000.
Castro-Klaren, Sara (Ed.). A companion to Latin American Literature and Culture. Oxford: Wiley-Blackwell, 2013.
Cerda, Patricia. Rugendas. Barcelona: Edicones B, 2016.
Franz, Carlos. Si te vieras con mis ojos. Madrid: Alfaguara, 2015.
Ortiz Domínguez, Efren. Johann Moritz Rugendas: memorias de un artista apasionado. Bógota: Luna Libros, 2013.
グリーンブラット、スティーブン『驚異と占有』荒木正純訳、みすず書房、1994.
トドロフ、ツヴェタン『他者の記号学』及川ほか訳、法政大学出版会、2014.
ラス・カサス『インディアスの破壊についての簡潔な報告』染田秀藤訳、岩波文庫、2013.
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